Coro コロ & CoroCraft

by - 金曜日, 11月 15, 2019


こんにちは。Rm Antiques店主のRieです。
第8回目は『Coro コロ & CoroCraft』

コスチュームジュエリーといえばCoroもしくはTrifariと言われるほど有名なメーカー。
質を取るならトリファリ、流行のデザインとお手頃価格なのがCoro。
このCoroというメーカーはCoroの下に何十ものサブブランドがあり、Coroについてを書いていくと
正直分厚い本になってしまうのでは、、というほどのもので、専門書も存在します。
ここではサブブランドについては軽く触れ、メインであるCoro Corocraftについてご紹介します。
少し長くなってしまいますがお付き合いくださいませ。

周辺会社と人物

Coroの歴史を書く前にまず Robert Mandle について簡単に触れていきます。

Robert Mandle 

Robert Mandleは設立者であるRobertが引退する1990年代まで続いたジュエリー会社。
今ではCoroのヘッドデザイナーであったGene Verriが設立したGem-Craft社がそのデザインを引き継いでいます。
1840年代にドイツよりニューヨークに移住したMandle一家のUrie Mandleはジュエリーセールスマンとして成功し働いていたE. Cohn & Companyを継ぎます。。
やがてこの会社がCohn and Rosenberger となりその後のCoroとなります。
1930年代、Coroの創立者の一人であるRosenbergerが他界した時その息子であるGeraldが後を継ぎますがその際Urieは会社を離れます。
やがて1938年Urie Mandle Corporationを 411 Fifth Avenue NYに設立。舞台監督として活躍していた息子であるRobertが入社し4年後にはCoroの次に有名な会社に成長しますが第2次世界大戦の金属資金不足により解散。Robertは軍隊に加入します。

戦後Robertが戻り、Urieにより新たに設立されたUrie F. Mandle Companyに加わりURO Creationsとして純銀ジュエリーの販売を始めます。
これより様々な協力者や新しい仕入れ先の確保により会社は成長し1956年R.Mandleと社名を変更。
この時の協力者、パートナーとして当時Coroのヘッドデザイナーとして活躍していたGene Verriの双子の兄弟でありRI州で小さなジュエリー製造会社を営んでいたAlfeo Verriなどがいます。
またGene Verriもデザインを提供しています。
スワロフスキージュエリーからティーン向けのジュエリーなどを制作し1966年にはスワロフスキの名誉デザイン賞を受賞。ここからアメリカからでは初めてヨーロッパに進出しました。

Robert Mandleジュエリーはレアで少し高く取引されます


さて、Coroに戻りましょう。
Coroは2つの会社が合併しその後その頭文字を2文字とりCoroとなりました。

E. Cohn & Company

Urie Mandleが引き継いだ会社E. Cohn & Company はEmanuel Cohnにより1902年にNYで設立されたジュエリーの販売会社。Urieのセールススキルによりアリゾナあたりまでその販売範囲を拡大します。
1903年会社はCohn and Rosenbergerとなります。
1911年Emanuelが退きますが理由はわかっておりません
失踪、死亡など様々な説があり、中にはタイタニック号事件で死亡したとの説もあるようです。


Carl Rosenberger & Gerald  Rosenberger

Carl Rosenbergerはドイツで生まれ野心を持って14歳の時渡米。すぐにジュエリー会社のセールスマンとして働き始め16歳の時にはすでに宝石商としてキャリアを積んでいました。
その3年後Fischel and Nesseler社でコスチュームジュエリーについて学びます。
その後E. Cohn & Companyに加わりCohn and Rosenbergerとなり
1911年Emanuelの失踪により会社を継ぐこととなります。この時社名がCoroとなります。
ここより彼は成功への輝かしい
舞台に立つことになります。
仕事に情熱を注ぎ、ジュエリー製造工場の多いロードアイランド州に大きな繁栄をもたらします。
またたいへんな慈善家であったようです。
1922年にはコロンビア大学を卒業した息子のGeraldがセールスマンとして加わり、
大変有能だった彼はCoroジュエリーの販売をヨーロッパにまで拡大させます。
1967年にCarlが心臓発作で亡くなった時GeraldはCoroをRichton International社に売却します。
コスチュームジュエリーの需要やトレンド、製造などにに変化が訪れててきていた頃でした。
その後1979年幾度かの会社の吸収合併を経てCoroはその扉を閉ざします。
はじめにCoroを買収したRichton Internationalも1980年に倒産しています。

Adolph Katz

 Coroのジュエリーを探し始めるとすぐに気づく名前です。Adolph Katz。
デザイイナーと思われがちですが正確には彼はデザインをしません。
1906年ドイツで生まれたKatzは18の時単身叔父と叔母を頼りNYに渡ります。
英語がうまくなく職がなかなか見つからなかったKatzを見かねた叔母が当時のCoroのCarl Rosenbergerの友達であった弟に仕事がないか訪ねたのがKatzがCoroで働き始めたきっかけでした。
その後輸送部門で働き始めますがドイツにいる弟が病気で無くなりアメリカに呼び寄せた母親も病気で亡くなり天涯孤独となります。
当時のCoroセールスマンRoyal Marcher(のちにCoroの副社長に就任)は彼に同情し自身の近くで彼に様々な仕事を与えます。
Royalからたくさんの仕事を学びながらやがてデザインダイレクターに就任します。
Katzは多くのデザインの中から売れるデザインを選び、組み合わせCoroのデザインの傾向を確立させていきます。
彼はいわばミリアムハスケル のようにデザインはしませんが『選びぬく目』を持っていたのでしょう。



デザイナー

Gene Verri

Coroの有名なピース、デュエットシリーズなどを手がけたヘッドデザイナー。
名前をあまり知られていないのは彼のデザインの特許をAdolph Katzが代わりに行っていたからです。
Geneの宝石商の両親は1904年にイタリアから渡米しました。
1911年夫婦は双子をもうけます。Alfeo と Eugeneと名付けられました
 華やかなイタリアの宝石商だった両親はアメリカの質素な暮らしに嫌気がさしスコットランドに移住を計画しますが、第1次世界大戦の混乱により一家はバラバラになってしまいます。
アメリカの親戚の家に身を寄せていたEugeneは1922年12歳からアートの勉強に励み14歳の時にロードアイランド州のデザイン学校の奨学金を受け取り大変良い成績を納めます。
1920年代ロードアイランド州で製造されていたジュエリーのほとんどが簡単な造形にエナメルが施されたものでした。1933年Coroはアートデコに変わる新しいデザインを作り出せる若いデザイナーを探していました。
当時Coroで働き始めていたEugene(Gene)のデザインはRoyal Marcherの目に留まり
Adolph Katzはすぐに製品化に働きました。Royal Marcherは彼に小さなオフィスを与え自由にデザインができる環境を与えました。
40年代後半フリーランスのデザイナーとしても活躍していたGeneは1948年Coroの許可を得て自身のブランドCraftsmanを設立します。その後Sample Art (SA)、Gem-Craftと名称を変えています。

SA刻印のジュエリー





Gem-Craft はCraft©と刻印があります


Capri, R mandeleやKramerなどにデザインを提供しながら1965年までCoroで働きます。
2000年Gene Verriはヴィンテージファッション & コスチュームジュエリークラブよりその75年の功績を表彰されています。
その時に彼のそれまでの作品から9つが選ばれGem-Craftより会員限定で当時のデザインで製造販売されました。
Gene Verriは2012年101歳の時ロードアイランド州で亡くなっています。


歴史

1903年Cohn and Rosenbergerとしてスタートし、1911年Coroとなります。
Cohnの失踪後十分な製造スペースが地下にある 538 Broadway NYに会社を移します。
1923年には株式を公開
その年にCoroはバイヤーを日本に派遣します。
パールやビーズコンポーネントを買い付けまた戦後は完成品ジュエリーを購入しアイディアとして
  ロードアイランド州の工場へ持ち帰りました

1926年Coroの傘下にニューラインとして"Corogram Incorporated"を設立。
当時需要のあったモノグラムジュエリーやアクセサリーを専門に取り扱いこれは1932年ブームが終わるまで会社の大きな売れ筋となります。

1929年ウォール街の大暴落がありましたがCoroはジュエリーの需要に応えるため
ロードアイランド州に大規模な工場設立というハイリスクな決断をします。
これは大変成功し従業員3,500人を超える大きな会社と成長します。

この頃よりCoroのジュエリーは誰もが知るものとなり30年代にはアメリカ各地に店舗を構え
1933年にはイギリス、カナダに工場を増やします。

1843 社名を Coro Inc に変更

1950年ごろにはCoroは世界で最も大きなジュエリーカンパニーに成長します。

Coroにはその下に100を超えるサブブランドがありました。
これはマーケット、デザイン、価格によって様々な層からの需要に応えるためでした。デザインも幅広くVendomeのようなハイクラスなものからティーン用の可愛らしい安価なものまでありました。

どのようにデザインアイディアを出していたかか気になるでしょう。
Coroはジュエリー学校も運営していました。

当時ジュエリー業界ではたらくとなると専門的な技術や知識が必要でした。
特にTrifariなどは給料も大変良かったのですがその分高い技術が必要となりそう簡単に働けるところではありません。
またジュエリー専門学校に行くほど経済的に豊かな家庭でないと学ぶことは困難でした。
そこでCoroはジュエリー学校を開き授業料無料で生徒を引き入れます。
それどころか生徒に少額ながらお給料を出していました。
そこで生徒は働きながら学び技術を身につけます。
そしてCoroは若いデザイナーの斬新なアイディアを積極的に商品に取り入れていました。

非常に人気のあったCoroのジュエリー、世界最大規模の工場を持ちながらも供給が間に合わないこともあったそうです。

1954年カンザスにいたCoroのセールスマンがたまたまローカルのショップで見かけたマスタードシードのアクセサリーに惹かれすぐにオフィスに持ち帰ります。
これは大変ヒットしリボンをあしらった小さなブローチは150万個を売り上げました


幸運のモチーフ マスタードシードのブローチ ルーサイトに封入されている 商品を見る


1969年 "3代目”となるCoroのトップ、Gerald  RosenbergerはCoroを完全売却
1979年にはロードアイランド州の工場も閉鎖されました。

ただカナダにあったCoro Inc. は1990年代までジュエリーを作っていたようです。


CoroCraft

1933年Coroがヨーロッパ進出としてイギリスのサセックスに工場を構えますがヨーロッパマーケットに参入するにあたりCoroという名前が問題になります。
すでにヨーロッパにあるメーカー、Ciroと大変似ているからでした。これは数年にわたる裁判に発展しますが最終的にCoroは代わりにCorocraftという刻印、ブランド名で展開することで落ち着きます。
ヨーロッパマーケットをターゲットに展開されたCorocraftは当時の$10~$50ハイエンドな価格帯で売り出されます。
純銀に淡くプレートしたVemeilというジュエリーをメインにAlfred KatzによりCorocraft をメインに担当することになったGeneがヘッドデザイナーとして活躍します。
1933年から1970年代までCorocraftはCoroの最も重要なラインとなっています。
質の管理のため英国の工場はほとんど全ての工程をこなせるにも関わらずジュエリーのマスターピースである型はすべてアメリカのロードアイランド州で作られ管理されました。
70年代のCoroの売却後この工場はスワロフスキー社が買収するものの
以前のような活気を取り戻すことはありませんでした。

Vermeil ローズゴールドやイエローゴールドがありました。



シグニチャーピース

Coroの有名なコレクタージュエリー


Duette

Duetteシリーズ。2つのブローチを1つに組み合わせて使うことができます。Gene作
1929-1946年の間に販売されました。有名なおうむのブローチもありますがこのカメリアが最も彼の有名な作品



50年代以降はルーサイトを使ったジュエリーがよく見られます。


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